色んな人が色んな執着を持っている。 社会的に成功していると言われる人も執着を癒すための行動とした結果たまたま、それが結びついただけかもしれない。
執着が大きければ大きいほどエネルギーを生むがとてつもなく苦しいのかもしれない。
仏教で執着を捨てよというのはお釈迦さんの人間観察の結果そこにあらゆる苦があると感じ取ったのかもしれない。何千年も続くということはある程度芯を食ってるだろう。
執着は過去の強烈な体験、トラウマ 親との生活の中で生まれそう。自分の執着を探るのも面白いかも。
色んな人が色んな執着を持っている。 社会的に成功していると言われる人も執着を癒すための行動とした結果たまたま、それが結びついただけかもしれない。
執着が大きければ大きいほどエネルギーを生むがとてつもなく苦しいのかもしれない。
仏教で執着を捨てよというのはお釈迦さんの人間観察の結果そこにあらゆる苦があると感じ取ったのかもしれない。何千年も続くということはある程度芯を食ってるだろう。
執着は過去の強烈な体験、トラウマ 親との生活の中で生まれそう。自分の執着を探るのも面白いかも。
ルッキズムと人工減少この二つは関連してるのでは無かろうか。
snsなどを通じてルッキズムはどんどんインフレしていく。それを見て整形などする人もお金があればいるかもしれない。
ただ多くの人は現実で見る世界とsnsメディアの情報が乖離していく。資本主義の妙として努力頑張ればいつか付き合えるかも自分もなれるかもと夢見る。
でもごく一部の人はなれるかもしれないが多くはなれないけど夢見続ける。情報は消費出来るのでそれでしか興奮満足しなくなる。でも現実は違うので夢を見続ける。 なれた人ももっと上をと求め続けるが上限が無く病む。地獄や
人がしたいことって全部自分を理解したいってことに収束するのでは
経済を勉強してる人は経済を通じて自分を理解したい 武道をしている人は武道を通じて自分を理解したい 数学を勉強している人は数学を通じて自分を理解したい
人は数字を掲げるとそれに囚われてしまうのかもしれない。 たとえその数字が意味の無いものでも必死に越えようとする。命の危険を冒してでもそれを達成しようとする。 数字自体はただの秒数だったりお金の数だったりそれ自体はあまり意味の無い羅列なのだが囚われてしまう。



